€50だし。
けれど、寒いのにはまいった。
たぶん、冬の間、お客が少なく、私の部屋も締め切っていたのではないかと思う。
例によってエアコンだけでは耐えられず、ポータブルのヒーターを借りたにもかかわらず、壁が氷のようで、ちっとも温まらない。
古い住居で面白いだけに、残念。
川に挟まれた丘の上という立地で、古い家屋た立ち並んでいてかわいらしいのではあるが、どこも閉まっているし、閑散としていて手持ち無沙汰だった。
前日は、ベージャを通り越して、ここに直行すればよかったなどと思ったが、早々とここに来なくて良かったと思ったほど。
ぐるっと歩くとやることも尽きて、新市街へ出てレストラン探し。
散々歩いて結局入ったのがNova Sanremo というレストラン。
土着の、まったく気取っていない店で、あまり期待もしなかったが、メニューにバラエティーがあって、しかも美味しくて、気分が急速に盛り上がった。
私が食べたのは鴨肉とひよこ豆がたくさん入った緑色のスープ。
緑の元がなんだったかは謎だが、良い味だった。
ワインのおすすめを尋ねたら、「うちのハウスワインはとってもいいですよ」とウエイターのお兄さん。
普通、こういうときには高いワインを薦めるものなのに。
とても満足したのでみんなにこの店を薦めるため、彼に店のカードを所望したが、そんなのは置いていないローカルレストラン。
店名だけメモってお別れした。
窓から外を眺めていると、昨日のレストランのお兄さんが店の外に出ていて、見送ってくれた。
わびしいメルトラだったが、おかげで印象がちょっと柔らかくなった。
きっともっと暖かい季節の晴れた日に訪れていたら、ぜんぜん違うところなんだろうな。
一週間前に散々歩いたので、すでに慣れ親しんだ感じがする。
タクシーで丘の中腹のOlissippo Hotel へ。
一週間前のウォーキングの際に前を通ったところだった。
このホテルは4つ星で、部屋は広々としているし、何より眺めが良い。
前日の、寒くわびしいホテルとは大違い。
一息ついた後、まずは魚介類が食べられるレストランをホテルの人に尋ねて、まっしぐらにそこへ。
何しろ、アレンテージョでは、これでもか、というぐらい肉ばかりだったので。
紹介されたのはJoao do Graoという店で、町の中心にある割には庶民的で、普段着の地元民がたくさんいる感じだった。
私はタコを食べた。
なぜか、たまねぎと一緒に食べるものらしかった。
いずれにしても、ポルトガル料理というのは、ひたすら素朴なのだと確信した。
窓際のテーブルに身なりの良い上品な感じの女性がいて目を引いたが、どうも、ラブ・アフェアの相手との食事のような雰囲気。
どこにもドラマはある。
以前の会社ではリスボン出張の際には必ず、ここにカステラをお土産にすることが慣わしになっていたのだ。
ポルトガル人が日本へ行ってカステラと出会い、本国で廃れてしまっていることを嘆いて、長崎の老舗に弟子入りし、カステラ職人になったという話は聞いていた。
リスボンで、日本人の奥さんと一緒に店をやっているという話。
店はComercio広場のすぐ近くで、すぐわかった。
ポルトガルと日本の国旗のマークが目印。
やっぱり日本人観光客もいたが、地元民もけっこう、入っていた。
緑茶とカステラを食べ、€10のカステラを買った。
味そのものは良いが、歯ざわりがちょーっと違ったかな。
。
かなり広域をめぐったようだが、日本語の案内を聞いて学んだことは①1755年に大地震があって町が崩壊し、中心部をさっさと建て直すために碁盤の目の道路を作り、同じサイズの石を使って家屋を建てた②美しい柄のタイルは16世紀から家屋の内部に使われ始め、19世紀には外部にも使うようになった。
時代によってタイルのデザインが異なるため、いつの時代のものかを判明しやすい③ポルトガルにも闘牛があるが、牛を殺さず、最後には人間が素手で戦う④「死刑を廃止した直後に、囚人の更生のために19世紀に建設された刑務所」というのがあった。
ということは、この国では19世紀にすでに死刑が廃止されていたのだ。
進んでいる!
Clube de Fado というアルファマ地区にあるレストランで。
レストランなので、食べなければならず、おなかがすいていなかったので困ったが、白身の焼き魚は軽くて美味しかった。
結局、デザートや食後酒も含め、€65。
これは、今回の旅行の食費としてはダントツにお高いお値段だが、ぼったくられた気はしない。
というのも、ファドそのものが良かったことに加え、ここのスタッフの態度がとてもプロフェッショナルできびきびと感じよかったこともある。
ファドは悲しく重たい歌なのだと思い込んでいたが、案外、軽いリズムの明るい歌もあったのが新鮮な驚きだった。
3人の歌い手を聞いたが、最後の女性が一番だったかな。
マンドリンのような音を出すギターラと呼ばれる楽器が要らしかった。
そしてその奏者が有名だったらしく、幕間に、お客さんが一部、ツーショットで写真を撮りあっていた。
おかげで、最後の無駄遣いも進み、今回も無事に楽しく旅行を終えられた。